検索トップ 

神社検索(神社史研究会

単語から検索

  単語から氏神様を検索できます。複数の単語は間に空白を入れてください
 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

神社史研究会(会長:皇學館大学白山芳太郎教授)が制作しています。
基本システム制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究部会
エルネットワーク(株)
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

検索結果

詳細情報

神社ID3393神社コード0
神社名糟目春日神社フリガナカスメカスガジンジャ
通称名フリガナ
郵便番号470-1202 鎮座地愛知県豊田市渡刈町北田62−4
氏子地域
電話番号FAX携帯電話
主な祭典例大祭祭典日10月第2土曜日
特殊神事
お知らせ
旧社格郷社式内社小社御朱印
祈祷出張祭神葬祭
結婚式宝物館その他
宮司名(本務/兼務)連絡先
主祭神《主》天宇受売命,《配》彦火火出見命,素盞男命,天照大神
フリガナアメノウズメノミコト ヒコホホデミノミコト スサノオノミコト アマテラスオオカミ
御神徳
由緒①大宝二年持統天皇三河国に行幸当地に御 の砌り鷹狩し給う。よってこの地を鳥狩捕都賀利戸刈と書くに至れり。第六十代醍醐天皇の御代に延喜式に載せられ文徳実録に正位糟目神社とあり勝女大明神又は塩指大明神と云はれ矢作川上流西方大原野をカスメ郷末野ヶ原と称し三河の満潮時には潮指し来たれりといふ。明治2年神祇官より延喜式内社に確定される。明治5年7月旧額田県より「春日」の文字を加称して同年9月郷社に確定される。明治39年4月供進神社に指定される。大正2年無格社熊野社合祀現在地を拡大整備せり。大正3年10月5日神殿八棟を新規築造奉斎せり。昭和52年10月幣殿祭祀殿を再建し崇敬の誠を顕し以って之を後世に伝う。

②大宝2年(701)持統上皇三河国に行幸の折り当地にて鷹狩をされました。よって奉祀されたのが始まりとされ、1300年余と大変由緒があります。又、この地を鳥狩・鳥捕・都賀利・戸苅といい、今日渡刈と書くようになりました。第60代醍醐天皇の御代に「延喜式」に載せられ、また「文徳実録」に正四位糟目神社とあり、糟目大明神又は塩指大明神といわれ、矢作川上流西方大原野をカスメ郷末野ヶ原と称し、三河の海の満潮時には潮指し来たりともいわれました。明治2年神祇官より延喜式内社に確定される。
明治5年7月旧額田県より「春日」の文字を加称して同年9月郷社に確定され、同39年4月共進神社に指定される。大正2年無格社熊野社を合祀、現座地へ神社を移転することになりました。同3年10月5日神殿8棟を新規築造し奉斎しました。昭和52年10月拝殿両覆い・渡りを改築施工されました。

③仁寿元年(851)の創建と伝えられる。
祭神は天宇受売命ほか3柱。『文徳実録』に、仁寿元年10月7日条に「糟目」ほか三河国10社が従五位下に叙せられたとあり、『延喜式神名帳』に、三河国26座のうちに糟目神社とある。
むかしは糟目大明神と称し、また一般に潮差大明神とも言い広く知られている。
矢作川西方の原野を末野原といい、むかしは、三河の海の満潮時には、このあたりまで潮がさしたことによって名付けられたとも言われている。
明治5年に宮地村の犬頭社は、むかしより糟目神社と称した故をもって、式社にならんと論争があって、この論争を契機に、明治5年(1872)現在名に改称され、宮地村(岡崎市)の犬頭社は、糟目犬頭社と称された。
旧社は北方約1kmの矢作川右岸にあった。大正5年(1916)この地に遷宮された。
『豊田の史跡と文化財』(豊田市教育委員会、昭和60年3月)304、305頁より
駐車場有無台数20台トイレ
記載H29/7/29
最寄駅とよたおいでんバス/地域バス(豊田市) 上郷地域バス末野原線「渡刈区民会館」徒歩0分
名所・名物
地図
HP(主)糟目春日神社ホームページ(主)へ神社写真/HP(副)
                            御影
画像収集中 画像収集中

ページトップへ 検索ページへ