由緒 | 当社は明治19年、広島県御手洗島(みたらいじま、現、豊田郡豊町大長、字、石原)の鎮守、社歴2200年に及ぶ宇津神社の御神霊を勧請、社殿を、初め今津中ノ丁に構へ、神道大日本教の教義を宣べ、祓戸教会(はらへどきょうかい)を称した。(本社祀官の女子越智タキ子従事)中頃(昭和7)現在地、今津天神町に遷座、敗戦の後、昭和22年神社制度の改革に伴い、神社に復帰し宇津神社と改称した。鎮座以来ここに108年(平成4)、遠近の崇敬篤く、付近民生の罪や汚れ(気枯れ)を祓ひ清めて苦難を解除された御神徳は長く且つ浅からぬものがある。昭和27年の安保条約締結の年、即ち日本独立の年を記念して、夏の子供祭が創始された。(先代宮司佐古芳浦従事)子供祭は、地域の深い理解と支援を得て、冬のとんど祭とともに年毎に盛況を加えている。唯、憾(うら)むらくは、当社は、神社固有の社地を所有せず、社殿は借地上に所在するゆえに、老朽見るに堪えないまま、改築もままならぬ現状である。本殿は小さくはあるが先の第60回式年遷宮のおり、皇大神宮から下賜された古材をもって建てられた。昭和56年1月のことで、当社が誇りとするところである。神社の維持、発展の活動を支援する男女2つの敬神団体がある。男子の組織を直日会(なおびかい)と呼び、女子の会を瑞垣会(みづがきかい)という。両会の名において、前者からは月のことば、後者からは交通安全のポスターが月々、街街に掲げられる。両者共に既に20年を越して続けられている。宇津神社は、今、地域の心の開発をめざしながら、この国のために、神道自体の解明宣布の必要を痛切に考えている。因みに、祢宜の佐古幸嬰は神道講師として18才のときから凡そ70年間、88才の今も尚全国を弘道行脚している。 |
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