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神社検索(三重)

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 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会とが共同で制作しています。
平成5年に神社本庁が作成した「平成の祭」CDのデータを補助的データとしても使用しています。
制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

検索結果

詳細情報

神社ID/コード638274220009 画像収集中
神社名/通称鹿高神社
(ふりがな)かたかじんじゃ
郵便番号518-0737鎮座地三重県名張市安部田 1942
電話番号FAX
主な祭典
宮司名 
旧社格
連絡先
主祭神《主》鹿高神,《合》大山祇神,《配》天児屋根命,蛭子神,五男三女神,応神天皇,建速須佐之男命,大物主命,菊理比売命,宇迦能御魂神,奥津比古神,奥津比売命,市杵嶋比売命,大日霊貴神,八意思兼神,火之迦具土神,大綿津見神
ふりがな
御神徳
由緒当社の創祀については、詳らかにはし難い。社伝によれば、壬申の乱のおり大海人皇子が吉野より美濃へ進軍される途上この地を通られ、おりしも宇陀川が洪水となり、皇子の進撃を妨げた。その時神霊二頭の鹿となって現れ、軍を対岸に無事渡した。ところが二頭の鹿は一頭に変じたため、以後この地は「片鹿」と呼ばれ、これが現在の「鹿高」となったと云う。さらに、壬申の乱の跡、大海人皇子はこの時のことを感謝され、鹿高の大神としてこの地に奉祀された。のちには奈良の春日神も併せ祀るようになったと伝えている。この伝承をうけ、天正一三年(一五八五)成立と伝える「安部田村由来記」には、慶雲三年(七〇六)に白鹿霊春日明神を相殿の神として斎き祀ったと記している。平安時代になると三代実録」貞観一五年九月二七日条に、正六位上鹿高神社大神を従五位下の神階に進める記事が見られるが、大正伊賀の乱により、社殿をはじめ全てを焼亡したため近世以前については不明な点が多い。江戸時代には、春日明神或いは春日神社と称し氏神として近郷の人々の崇敬を集めた。明治四〇年(一九〇七)境内社蛭子社、他をそれぞれ合祀し、さらに翌四一年には大字井手字立石鎮座無格社海神社を合祀の上社名を鹿高神社と改称した。
特殊神事
氏子地域
宮司記載
HP(主)
御影画像収集中

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