伊雜宮 
  いざわのみや(いぞうぐう)       
〒517-0208
三重県志摩市磯部町上之郷字上ノ里
TEL 0599-55-0038
 
由緒
神社由緒   

御由緒
当宮の創立は、約二千年前、第十一代垂仁天皇の御代といわれます。『倭姫命世記』は、皇大神官ご鎮座の後に御贄地を定めるため倭姫命が志摩国を巡行された後、伊佐波登美命が豊かな稲を奉り、この地に神殿を造営したと伝えます。 また、延暦二十三(八〇四)年朝廷に提出された『皇大神宮儀式帳』にも宮名が見えることから、少なくともそれ以前から神宮の別宮として位置付けられていたと考えられます。 志摩地方は奈良時代以前から海洋部族である磯部氏の根拠地であり、彼らがお祭りしていた神の社と、当宮との関係については様々な説が挙がっていますが、いつから朝廷が関わることになったかなどは未だ明確ではありません。
 鎌倉時代に編集された「吾妻鏡Jには、源頼朝が神宮に祈願した際、神馬を伊雜言に贈ったと記されています。  この頃、神領を守るため、伊雜御浦惣検校職が置かれましたが、室町時代以降は力が衰え、江戸時代初頭、二度の仮殿遷宮は、磯部の郷人の手によって行われました。
 中世になると伊雜宮にも御師が現れ、明応から慶長(一四九二〜六一五)の頃には檀那(特定の寄進者)を持つに至りました。やがて、伊雜言の神格を高めようと、磯部の御師の間に、内外両宮は伊雅宮の分家であるという主張が生まれます。  『日本書紀』にある「磯宮」、「倭姫命世記]の「伊蘓宮」などが伊雜宮であるとの説を立て、神訴に及ぶことが重なりましたが、明暦四年(一六五八)朝廷からの綸旨・裁決によって伊雜宮は内宮の別宮と定められました。
 地元の人々との長く深い関わりにより、伊雜宮には高欄を巡らし金銅飾金物を奉飾するなど他の別宮とは異なる点がありましたが、明治四十二年(一九〇九)度の遷宮から他の別宮と同じ建築様式に改められました。

伊雜宮は「いぞうぐう」とも呼ばれ、三蔵県志摩市にご鎮座される、皇大神宮の別宮です。 『万葉集』に大伴家持の「御食つ国志摩の海人ならし真熊野の小船に乗りて沖辺漕ぐ見ゆ」の歌が残るように、志摩地方は、風光麗しく海産物に富み、 古くから朝廷と神宮の御料を貢進した御食国として知られ、『古事記』にも「島の贄」(志摩から朝廷に納められる初物の海産物)として登場します。 伊雜宮も古くから、皇大神宮の「遙宮」として広く信仰を集め、また地元の人々によって海の幸、山の幸の豊饒が祈られてきました。
御祭神
伊雜宮 天照坐皇大御神御魂
皇大神宮の別宮として、天地の内に隈無く光が照り徴ると讃えられる大御神の御魂をお祭りしています。 




  
  
  
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