灰寶神社 
   はいほうじんじゃ       
〒470-0332
愛知県豊田市越戸町松葉52
 
御由緒書

 
御由緒・御祭神   

御由緒
灰宝神社は全越戸の守護神でその創建は約1300年前の慶雲3年(706)と言われている歴史のある神社です。 今から1000年余り前善政の模範と言われた醍醐天皇の時代(901〜922)の延喜5年(905)に天皇の勅命で藤原時平他2名によって 「延喜式」という全50巻におよぶ法律書が作成されました。その書の中に国として祭る神社を登録し全国で2861社が式内社として定められました。
豊田市内では8社ありうちの1社が地元の灰宝神社です。
灰宝神社の祭り神は速邇夜須毘売命です。伊邪那岐尊・伊邪那美尊が大八島、つまり日本の国土を生んだあと風雨草木山野五穀火の神々等を生み 国土経営の基礎が進んだあとに生まれた神様です。
またの名を埴安姫命とも言われ速邇夜須は埴粘の事であり大地でもある粘土をこね形を造り焼いて土器を作った陶芸の神様です。
其の昔、良質の粘土を求めて越戸港より陶工達がどんどん上陸し越人となりこの地方の開拓にあたり人々地域の安全発展安寧を願いお祀りされたものです。
このように歴史と由緒のある神社が私たちの地域にあることは誇りでもあります。伝統ある神社を大切にして行きたいと切望するものです。

御由緒2
當社創立は慶雲3年正月建立とあり、此地往昔は交通の衢に當り此處より矢作川を超え東國及信濃地へ通じたるものにして當時本社は世人崇敬之中心となり 延喜式神祇巻に参河國26座の中賀茂郡7座の一灰寶神社、本國神名帳に正五位下灰寶天神と記載せらる。
『愛知縣神社要覧』((財)愛知縣神職會、昭和11年5月)231頁より

御由緒3
荒井町の兵主神社から国道153号線を北に向かって1200mの左側に灰寶神社と彫られた大きな石柱が建っている。
灰の宝の神社、そして祭神は伊邪那美命の屎から生まれた埴安姫尊である。この神は粘土を使い形を整え火で焼いて祭器を作る神であり陶磁器の祖神ともいえる方である。
越戸のこの地に陶磁器の祖神がまつられていることは極めて示唆的である。古代・中世において猿投山一帯は全国的にも著名な窯業生産地であったが、 その製品の搬路は明確ではない。江戸時代、猿投山西麓の八草村からの米の搬出方法は陸路この越戸まで運び、越戸からは矢作川を利用して水路で、 矢作川河口に運んだことが文書に見えている。江戸時代と平安時代を簡単に結び付けるわけにはいかないが、平安時代の焼物もこのルートによったかもしれない。 その場合、埴安姫尊をまつる灰宝神社がこの地に鎮座することの意味もすこしながら判るような気もする。
『豊田の史跡と文化財』(豊田市文化財保護審議会編、豊田市教育委員会、昭和60年3月)41、42頁より

御由緒4
名鉄三河線越戸駅下車、北へ300米程、国道153号線沿いの西側に鎮座します。道路の東側には矢作川が流れています。
社伝によれば慶雲3年(706)の創建といいます。元鎮座地は矢作川西側の中洲としており、 河川の氾濫により現在地に遷座したと伝えています。矢作川の川筋は当然変化しており、かなり東方を流れていたようで、 旧鎮座地が川の中州にあったという点については、社殿の伝えるようであったろうと推定されます。
灰寶神社と同様に、下流の荒井町に鎮座する式内兵主神社も、同様に鎮座地が遷っています。しかし、現在旧社地がどこかを特定することはできません。
祭神 波爾安比咲命は、伊邪那美神が火の迦具土神を生み、陰所を焼いて苦しまれた折に、屎をしましたが、その屎から化生した神とされています。「埴」は粘土のことで、 「夜須」は美称です。単なる田畑の土の神と言っただけではなく、粘土を練り形を整え、火で焼いて土器を作ったであろうことから、陶器の神と考えられます。
篭川の支流、伊保川沿いの東保見町周辺からは、3世紀から5世紀・6世紀前半にかけての遺物が多数出土しています。出土品の中で最も多いのは3世紀後半の土器類です。また、 伊保小学校周辺部を中心に竪穴住居跡や溝などが確認されており、埴輪や須恵器の出土がみられ、恐らく小規模な古墳群が伊保川に流れ込む伊保堂川縁辺部 に形成されていたものと思われます。この一族が射穂神社を創建したと見て間違いではないでしょう。
この伊保川の下流、篭川と矢作川との合流点、兵主神社附近の梅坪遺跡からは、弥生後期から平安時代のまでの集落遺跡が見つかり、大量の遺物が出土しているとのことです。
対岸の高橋地区からは、弥生後期から古墳時代にかけての遺跡が発見されています。
伊保・梅坪・高橋遺跡といった弥生後期から古墳時代初期にかけての集落遺跡が数軒範囲に存在していました。特に矢作川が挙母盆地に流れ出ようとする勘八峡周辺は、 挙母盆地の中でも、最も早くから人々が住んでいた地域と思われます。
この矢作川上流地域は、東国・信濃地方への交通の要衝で、越戸地域一帯は、川を使っての交易、土器の集積地であったと推定されます。
『愛知の式内社とその周辺』(小林春夫著、式内社顕彰会、平成13年5月)222、223、224頁より

御祭神
《主》波迩安比咲命



現地調査報告   



現地調査日 平成 年 月 日
平成 年 月 日作成 皇學館大学神道学科

公式HP  
  
  
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