蛭子神社 
  えびすじんじゃ       
〒518-0714
三重県名張市鍛冶町 97
TEL
 
由緒

 
神社由緒   

御由緒
当社の創祀については、詳らかにはし難い。社伝によれば、崇神天皇の御代天皇が大和笠縫より隠市守宮に御移座の時、この地域の神戸等朝夕に鮎を供し、御饌を供することは神宮の御饌殿のごとくであった。 この隠市守宮が当社鎮座地であり、ここに八重事代主命と天照大神を祀ったのを創祀と伝えている。また、『倭姫命世紀』 には、隠巾守宮に霊鏡が飛翔した記事があり、 さらに『延長風土記』に、月に六度の市が開かれていたとの記載があって、古くより当地が聞かれていたこと及び、付近に神宮の御厨があったことが判る。 江戸時代の地誌類には、恵比須宮或いは市守宮として紹介され、近郷の人々から篤い崇敬をうけていた。明治四一年(一九〇八)、同じ鍛冶町鎮座の愛宕神社及び当社境内社往古神社・多賀神社を合祀した。 昭和二三年、先に合祀した愛宕神社を氏子崇拝者の熱意により分祀し、現在に至っている。宝物等 棟札一枚 鏡一面 刀剣一口 玉一個 紅葉神木一株 附属団体 七福神保存会

御祭神
《主》八重事代主命,《配》三筒男命,伊邪那岐命《合》天照皇大神,



現地調査報告   



現地調査日 平成 年 月 日
平成 年 月 日作成 皇學館大学神道学科

  
  
  
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