由緒 | 唐人山の麓清流月見川のほとりに、鎮座する人丸神社は、持統(四十一代)文武(四十二代)天皇の朝に仕られた。歌聖柿本人磨朝臣を御祭神とする神社であります。御祭神人磨朝臣は、和歌の道に優れ古より歌の大聖として知られ、長歌短歌は萬葉集に数多く集められています。天正年間(1572)石見国高津(現在の益田市)より御分霊を当地へ勧請せられましてより、藩主をはじめ一般民衆には学問の神としてもとより、漁村(漁業)にあっては萬寿3年(1026)の地震による津波によって海中に没し海神(龍神)となり、漁業の守護神として、商業にありては(龍神)となり、商売繁昌の神として、又「ひとまる 人生まる」「ひとまる 火止る」の語言から安産の神、火難除けの神として庶民の信仰厚く、崇敬者は地元は勿論のこと遠近各方面に及び日常参拝者の絶ゆることがありません。又、現在中の倉に御鎮座されている諏訪神社は長野県松本より中の倉に御鎮座されたものを一旦松本市に移転御鎮座し明治41年11月現在の人丸神社に合祀されたもので御祭神として大国主神の2男建御名方神を奉り古くから狩猟、農業、商業、武勇又地元の産土の神として奉られています。一方下山神社は御祭神として菅原道真公を奉り文教の祖神、農工、疫病の神として崇められ又舟津の産土の神としても古くから信仰されました。明治43年1月人丸神社に合祀され今日に至っております。 |
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