由緒 | 当神社は十四代仲哀天皇の御代(197)に神功皇后は三韓(高句麗、新羅、百濟)に出兵のみぎり、航海安全、海上守護神として、穴戸向津久の対岸、平保の地(今日も当地に字、平保台があり年に一度祭事が行わる。)に住吉大神を鎮座し東門鎮護(東の海上守護)とされた。なお、延長元年(923)に長門亀山八幡宮が西門鎮守となる。建久2年(1191)に豊田の郡司七代藤原種弘は、今日の社地字西の宮に宇佐八幡宮の御分霊を御勧請し往古より当地に御鎮座の住吉大神と合斎し、社名を住吉八幡宮と改め海上交通安全、海幸産業の守護神として、島戸村、附久野村、大窪村、肥中村、特牛村、荒田村、鳴滝村、堀越村八ケ村の総氏神として社殿を建立した。往古、例祭日には神官が拝殿の両方に座し、引受場の氏子に御神久米を渡し、御社田の耕作を引受けさせたとある。これは村々に御社田が多く今日に神田と言うのはこの社田から残った地名であると言う。明治7年(1874)2月特別の由緒を以て郷社に列せられる。社殿の造修は棟札、社碑似寄ると建久2年(1191)応永5年(1398)慶安4年(1651)天保2年(1831)明治41年、昭和63年にそれぞれ社の建て替え、大改修等が行われている。 |
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