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詳細情報
神社ID/コード | 1482 | 0 | |||
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神社名/通称 | 八幡宮 | 下野國一社八幡宮 | |||
(ふりがな) | (はちまんぐう) | しもつけのくにいっしゃはちまんぐう | |||
郵便番号 | 鎮座地 | 栃木県足利市八幡町 | |||
氏子地域 | |||||
電話番号 | 0284-71-0292 | FAX | 携帯電話 | ||
主な祭典 | 祭典日 | ||||
特殊神事 | |||||
お知らせ | |||||
旧社格 | 式内社 | 御朱印 | |||
祈祷 | 出張祭 | 神葬祭 | |||
結婚式 | 宝物館 | その他 | |||
宮司名 | 飯田 眞 | (本務/兼務) | 連絡先 | ||
主祭神 | 《主》誉田別命,大帯姫命,姫大神 | ||||
フリガナ | |||||
御神徳 | |||||
由緒 | 社伝によると、天喜4年(1056)八幡太郎の名で有名な源義家が、陸奥の豪族、安倍頼時父子を討伐(前九年の役)するため当社付近の大将陣に宿営し、戦勝を祈願して現在地に小祠を創建し、山城の国(現京都府)の男山八幡宮を勧請したという。康平年間に凱旋した義家は神の恵みに感謝し、公自ら兵器を奉納した。文明8年(1476)8月、長尾景長は境内社木伐採の禁制を出し保護を加え、その後の元和7年(1621)11月、江戸幕府より20石の朱印社領を許されているが、この時の設計図や費用明細書などが現存している。当社は八幡太郎源義家・義国父子の手厚い信仰により源姓足利氏代々の氏神として保護されてきた。明治四年に社格が制定され、同五年郷社、同35年には県社に列せられた。当社は古くは足利荘八幡宮と呼ばれ、下野国内第一の八幡宮として、下野国一社八幡宮、一国一社八幡宮とも称した。 | ||||
駐車場有無 | 台数 | トイレ | |||
記載 | |||||
最寄駅 | |||||
名所・名物 | |||||
地図 | |||||
HP(主) | 神社写真/HP(副) | ||||
御影 | |||||