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神社検索(岡山)

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皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と県神社庁が共同で制作しています。
平成5年に神社本庁が作成した「平成の祭」CDのデータを補助的データとしても使用しています。
基本システム制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
エルネットワーク(株)
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

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神社ID/コード66197309042 画像収集中
神社名/通称甲弩神社艮宮
(フリガナ)コウヌジンジャウシトラグウ
郵便番号714-0002鎮座地笠岡市甲弩789
氏子地域笠岡市甲弩
電話番号FAX携帯電話
主な祭典歳旦祭 夏祭 例祭祭典日1月1日 7月29日 10月第3日曜日
特殊神事
お知らせ荒神神楽(7年に1度子、午の年)
旧社格村社式内社御朱印
祈祷出張祭神葬祭
結婚式宝物館その他
宮司名(本務/兼務)連絡先
主祭神素盞嗚命 伊邪那岐命
フリガナスサノオノミコト イザナギノミコト
御神徳家内安全
由緒 甲弩の名は承平4年(934)の和名鈔に見える。当社は甲弩郷7ヶ村の大氏神であったと伝えられているところから、その創建は甲弩郷の置かれた奈良時代まで遡る。神護景雲元年(767)とも言われる。  社名は艮明神(丑寅)また単に大明神とも呼ばれる。源平戦乱の兵火のため社殿が焼失したが、中世に小田氏の尊信を受け多くの社領が寄進された。小田氏は室町幕府の家臣床上小松。これが後に小田清秀と改まる。正平2年(1369)小田の地に入封。小田、甲弩、山口、新賀の4ヶ村を領した。  小田氏転封の後衰微したが、江戸時代に池田領になって再興。寛永14年(1637)備中松山城主池田出雲守長常によって再建。本殿は降って宝永7年(1710)代官万年七郎右衛門尉の崇敬によって再建。明治5年小田県当時村社に列格。明治40年神饌幣帛料供進神社の指定を受ける。  拝殿は3間×2間の単層入母屋造。本瓦葺、正面に唐破風の向拝をつける。数度の修理を経ながら昔の様式を残している。昭和33年笠岡市重要文化財指定。  氏子は領家地頭の二種あり、各約1反の田を有し、宮山は良材と豊富な松茸を産し富裕であったが、明治以降また戦後悉く没収改廃せられ、専任の神職なく衰微したが現在は氏子の協力により鋭意復興中である。
駐車場有無台数トイレ
記載
最寄駅甲弩バス停から東北へ200m 北川バス停から南西へ300m
名所・名物
地図
HP(主)神社写真/HP(副)
                            御影
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