由緒 | 神武天皇は天孫・瓊瓊杵尊より四代目、第一代の天皇に当り、神日本磐余彦火火出見天皇とも申し上げます。天皇は天孫降臨の地日向高千穂に在って、今の九州地方を治めておられましたが、まだ豊葦原瑞穂国(日本の古名)の多くが平らかにならず、村々は争いあい人々は文明に遠く、産業も興らぬのを見られ、国の中心たる大和(現在の奈良地方)を美し地と定め、天の下の政治を行うべく東遷の途に立たれました。途中幾多の困難に遭われましたが、ついに「荒ぶる神等を言向け平和し、伏はぬ人等を退け撥ひて」橿原の宮に即位の礼をあげ給い、米作りをはじめ多くの産業を興し、正しきを養い、国の基をたてられました。皇后・媛蹈五十鈴媛命は事代主命(古事記には大物主命)の御娘に当る方です。創建由来 明治維新の王政復古の大号令の中に「諸事神武創業の始にもとづき」というお言葉があります。この理想も欧風化の波にのまれつつあるなか、明治21年、橿原宮跡の考証が成り、地元民間有志より神武天皇をまつる神社の創建の請願がおこりました。明治天皇にはこれを深く嘉賞せられ京都御所の賢所と神嘉殿、また多額の御手元金をも下されました。明治23年4月2日、地元民挙げて奉迎するなか、御勅使参向になり、御鎮座祭が執り行われ、官幣大社橿原神宮の創建が成ったのでした。「教育勅語」渙発も、この同じ年十月のことです。明治天皇御製 橿原の とほつみおやの 宮柱 たてそめしより 国はうごかず 橿原の 宮のおきてに もとづきて わが日の本の 国をたもたむ 祭祀 当神宮では数多くの祭典が行われていますが、最も重要な祭典は例祭の紀元祭です。2月11日、勅使ご参向のもと、建国創業の昔をしのぶ全国の崇敬者の奉賛により、年々盛大に執り行われています。また4月3日の神武天皇祭は、古くから「神武さん」と親しまれ近郷からの多くの参拝者で終日社頭はにぎわいます。歳旦祭 1月1日 元始祭 1月3日 紀元祭(例祭)2月11日 祈年祭 2月17日 春季大祭 御鎮座祈念祭4月2日 神武天皇祭 4月3日 奉賛感謝祭 4月29日秋季大祭 10月3日 新嘗祭 11月23日 天長祭 12月23日 月次祭 毎月1・11・21日 |
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