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神社検索(三重)

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 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会とが共同で制作しています。
平成5年に神社本庁が作成した「平成の祭」CDのデータを補助的データとしても使用しています。
制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

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詳細情報

神社ID/コード637614219012 画像収集中
神社名/通称阿自賀神社
(ふりがな)あじかじんじゃ
郵便番号513-0034鎮座地三重県鈴鹿市須賀 1-1-28
電話番号FAX
主な祭典10月第2土曜日、 祈年祭/お田植神事(2月)天王祭(7月)新嘗祭(11月)
宮司名楠 皐(くすのき たかし) 
旧社格村社
連絡先059-382-3622(fax:059-382-3703)
主祭神《主》品陀和気命,《合》菅原神,弥都波能売神,建速須佐之男命,大山津見神
ふりがなほんだわけのみこと
御神徳農業振興、五穀豊穣、家内安全、子孫繁栄、厄除け、産業繁栄、勝運、学業成就
由緒 社伝によれば建暦二年(一二一二) 三月三日の「可停止京畿諸国建立諸社末社」宣旨以前の創祀とされている。須賀の地は室町時代(康暦元年〔一三七九〕)足利義満券伏(応永三一年〔一四二四〕)足利義持券状)に東大寺八幡宮に寄進されており、この時点で「八幡宮」を勧請し、八幡宮と称したとも云われている。徳川家康の家臣、一柳直盛が神戸五万石の城主となり、大坂出陣の砌当社に刀矢を奉納し「弓矢八幡宮」と呼ばれたと伝へるように、八幡神として代々の領主からも厚い崇敬をうけている。現存する棟札類によれば「神戸河曲郡須賀八幡宮」(慶長一二年)「阿自賀神社八幡宮」(文政二年)「阿自賀神社須賀八幡宮」(安政六年)等、須賀八幡宮或いは阿自賀神社等と称されていたようである。明治以降旧名称に復し「阿自賀神社」と称した。明治二年(一八六九)明治天皇御東幸の砌、御名代として福羽美静が代拝奉幣。明治三九年には式内社に準ずべき社として神饌幣帛料供進神社の指定をうけた。同四〇年村内の菅原社他四社を合祀し、現在に至っている。宝物等 和鏡 一面(藤原告次作在銘)棟札六枚(慶長一二年《一六〇七》・寛文二年《一六六二》・文政二年《一八一九》・安政六年《一八五九》・安政七年・文明三年《一四七一》)湯立釜一口 狛犬一対 扁額三面 刀剣一口(備州祐定) 燈籠一基(寛文六年《一六六六》在銘)常夜燈 一基 砲弾 一対(軍艦八雲)
特殊神事
氏子地域鈴鹿市須賀
宮司記載
HP(主)
御影画像収集中

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