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神社検索(三重)

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 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会とが共同で制作しています。
平成5年に神社本庁が作成した「平成の祭」CDのデータを補助的データとしても使用しています。
制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

検索結果

詳細情報

神社ID/コード637494218028 画像収集中
神社名/通称田守神社
(ふりがな)たもりじんじゃ
郵便番号518-1147鎮座地三重県伊賀市蔵縄手 353
電話番号FAX
主な祭典10月29日
宮司名 
旧社格旧村社 延喜式内社
連絡先
主祭神《主》彦屋主田心命,別雷神,木花咲耶媛命,表筒男命,中筒男命,誉田別命,建速須佐之男命,事代主神,大日孁貴神,速玉之男命《合》底筒男命,建御名方神,大山祇命,大物主命,白山比咩神,宇迦能御魂神,火之迦具土神,大綿津見神,五男三女神,六所大神,市杵島姫命,
ふりがな
御神徳
由緒当社の創始については、詳らかにし難い。社伝によれば、豪族伊賀氏族が、その祖神と当地の産土神を合祀奉斎し、後長元年中に大字鍛冶屋字吉田井上より現在の鎮座地蔵縄手の長平寺浦山に遷座したと伝えている。平安時代には『延喜式』に伊賀郡の小社として田守神社の名が見られる以外、史料に登場するものはない。近世には古山七郷の惣社として人々の崇敬をあつめ、雷王、牛頭天王、八幡、熊野権現、恵比寿之宮筒井権現等の摂社を持ち、十一面観音堂をもあわせ持っていた。宮坊は梅母山吉田寺である。江戸時代末に至る迄吉田神社と称されていた。明治に至り、現鎮座地には吉田神社 同境内社田守神社 同筒井神社 同八幡神社 同白山神社 同蛭子神社 同津島神社が鎮座していた。明治四一年(1908)村内菖蒲池の村社住吉神社他無格社四七社、その境内社一〇社と共に村社吉田神社の境内社を同境内社田守神社へ合祀の上、田守神社と改称した。昭和二一年(1946)社格廃止。同年宗教法人として届け出、現在に至っている。 特記事項 例祭には輪番制による各字別年長者が奉仕する神輿を基軸に、神馬、金幣金鉾、祭礼頭屋、大人講、合祀記念等の大小御幣、獅子舞、小学一年生のホーロ(花傘)等々が供奉する渡御神事があり、近郊近在鄙にして稀にみる神社の古事と伝承を継承した祭礼である。その特異な行事として「貴箸」があり、これは当日の祭礼神事が恙なく奉仕できたことを神前に奉告寿ぎ、かつ爾後の平安と更なる発展を祈る神事である。また、「七度半のお迎え」として行列を以て御旅所の巡幸祭典のあと帰路に住吉橋にて小休止するが、その間祭主は扇ヶ芝の松の下に神馬を清め、七度半のお迎えをして帰社することになっている。これら一連の祭礼行事は、氏子とか家からなる田楽講、馬苦労講、慶成講、鶏鼓講、温然講等があり祭礼当日にはそれぞれ一二講の座が設けられ、かつ、祭礼神事に奉仕する。
特殊神事
氏子地域蔵縄手、菖蒲池、湯屋谷、古山界外、鍛冶屋、東谷、安場
宮司記載
HP(主)
御影画像収集中

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