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詳細情報
| 神社ID/コード | 63455 | 4209011 | ![]() | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 神社名/通称 | 日置神社 | ||||
| (ふりがな) | ひおきじんじゃ | ||||
| 郵便番号 | 519-1402 | 鎮座地 | 三重県伊賀市下柘植 2260 | ||
| 電話番号 | FAX | ||||
| 主な祭典 | |||||
| 宮司名 | |||||
| 旧社格 | |||||
| 連絡先 | |||||
| 主祭神 | 《主》大日孁貴命,《配》健御名方命《合》健速須佐之男命,大山祇命,応神天皇,木花佐久夜比売命,奥津比古神,市杵島比売命,奥津比売命,大物主神,火産霊神, | ||||
| ふりがな | |||||
| 御神徳 | |||||
| 由緒 | 下柘植日置神社については「三国地誌」に「按慶長年中愛田ヨリ勧請ス」とあり言い伝えには平宗清の長男日置太郎家清が父の後を継いで下柘植村に住んでいた時この神社を創建し子孫がずっと奉祀してきたが天正九年(1581)織田氏の兵火にかかり全焼した。しかしその後住民が協力して再建したという。元愛田日置神社については「伊水温故」に「信濃国諏訪郡健御名方命勧請」とあり「三国地誌」には「按神明、天王、諏訪の三座を祀る。弥平兵衛宗清造建す。」とある。言い伝えによると平宗清は後年愛田に住んでいた。時の将軍頼朝は宗清に旧恩があったので所領を授けようとしたが、宗清は請けなかった。それで藤九郎盛永をつかわし三三村を日置神社に寄付し造営を助けた。当時山中村を改め愛田村と呼んだという。明治四〇年にはちまんじんじゃなど一二社を合祀し明治四一年には愛田宮前一七七六に鎮座していた日置神社を合祀している。この年にはほかに下柘植や愛田に鎮座の神社を合祀しこの時期に合祀された神社は二七社に及ぶ。 | ||||
| 特殊神事 | |||||
| 氏子地域 | |||||
| 宮司記載 | |||||
| HP(主) | |||||
| 御影 | ![]() | ||||

