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神社検索(三重)

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 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会とが共同で制作しています。
平成5年に神社本庁が作成した「平成の祭」CDのデータを補助的データとしても使用しています。
制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

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神社ID/コード631974202001 画像収集中
神社名/通称賀毛神社総宮さん
(ふりがな)かもじんじゃそうみやさん
郵便番号511-0437鎮座地三重県いなべ市北勢町垣内 718
電話番号FAX
主な祭典秋祭10月第二日曜日 新嘗祭11月23日 御鍬祭3月第2か第3日曜
宮司名民上 三男 
旧社格延喜式内社 村社
連絡先0594-72-3443
主祭神《主》彦坐命,《配》鴨県主命,治田連命
ふりがなひこいますのみこと かものあがたぬしのみこと はりたのむらじのみこと
御神徳五穀豊穣 家内安全 無病息災 開運長寿 交通安全
由緒勧請年月不詳。延喜式内社。『姓氏録』左京皇別下に「治田連開花天皇皇子彦坐命之後也。四世孫彦□命征北夷有功勲。因割近江国浅井群賜之。為墾田地。大海・真特等墾開彼地以為居地。大海六世孫之後熊田・宮平等。因行事賜治田連姓也。」とあり、治田連の氏人が近江国浅井郡治田郷から当地に移住して治田の部落をつくり、又、その祖先の鴨県主の氏人も移住してきて、氏神を祀つたのが当社であろう。中古までは神田も多くあり、社殿も宏麗であったが、天正年間織田信長の北勢侵攻の際、長嶋一揆の残党が当社の別当寺魏竹山興正寺に立籠り反抗したので放火され、伽藍堂宇が灰燼に帰した時当社も類焼、神殿・神宝記録に至るまで烏有に帰し廃退した。元和元年(一六一五)桑名城主本多中務大輔忠刻の領地となり、城主の敬神により 神田・幣帛料を陽り復興した。享保一一年 (一七二六)には上総国一ノ宮藩主加納遠江守久通の支配となり、藩主の尊崇を得て 興隆した。  『明治五年(一八七二)の村明細帳』に、治田郷の各村にあった社が記されている。 中山村 中山神社・牛ケ谷神社・大髪神社。麓村麓稲荷・金刀毘羅・山神。奥村 奥村八幡宮・山神。垣内村 武内賀毛神社・市坂神社。別名村 前田八幡宮。東村 八幡社・稲荷社。これらの諸社は明治四一年 (一九〇八)二月当社に合祀した。宝物等 石斧 一個 曲玉 二個 鏃 十五個 因字石 二個 古鏡面・古銭 百枚 古刀(正宗)一振・(来国光)一振 長刀(兼氏)一振特記事項 古くから毎年十二月六日、七才から一四才までの児童が鉢巻・草鞋姿で社頭に持ち寄った竹・藁・薪で大きな松明を造り、これに火をつけて囃立てた。これを「山の神どうど」といったが、昭和三〇年以降中断した。又、明治三十七年迄は毎年一〇月十三・一四・一五日に「流鏑馬」「馬馳」の神事が行われ、北勢四郡はもとより遠く美濃・尾張からも見物人が参集したという。
特殊神事
茅の輪くぐり、山の神祭、湯立て神事
特殊神事
氏子地域垣内 別名 東村 奥村 麓村 中山 加野 新貝 一ノ坂
宮司記載大銀杏の黄葉と紅葉が大変美しい
HP(主)
御影画像収集中

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