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詳細情報
神社ID/コード | 2983 | 4218002 | ![]() | ||
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神社名/通称 | 愛宕神社 | ||||
(ふりがな) | あたごじんじゃ | ||||
郵便番号 | 518-0846 | 鎮座地 | 三重県伊賀市上野愛宕町1826 | ||
電話番号 | FAX | ||||
主な祭典 | 4月23日春祭り 忍之社まつり 7月23日阿多古まつり | ||||
宮司名 | |||||
旧社格 | 村社 | ||||
連絡先 | 0595-23-1210 | ||||
主祭神 | 《主》火産霊大神,《配》市杵島姫命,櫛御気野命,猿田毘古命,広国押建金日命,雉子神 | ||||
ふりがな | |||||
御神徳 | |||||
由緒 | ◇愛宕大神 宇宙のはじめに当っては、すべてのはじめのものが先ず出来ましたが、その気性はまだ十分ではありませんでした。日本列島が大陸から完全に分離して、いくつかの島のあつまりの姿をもったのは第四紀とよばれる最近200万年のあいだの出来事です。この時代は何回となく断層運動がはげしくくり返された時期にあたります。いままで満々と水を貯えていた伊賀の湖沼は(第三紀古琵琶湖層群の一部)は地殻の変動をくり返すうちにだんだん水位がさがり先ず最初に南宮山(伊賀一ノ宮)が現われ、次いで朝日嶽(愛宕山)が出現して伊賀の国原が生み成されたといわれます。これらの山々はやがてこの国原に住みついた人々の原始神祇にみちびかれ神々の依代である神奈備となり、朝日嶽はホノヤギハヤオノ神の坐す神籬となりました。この神は国土創成の親神であるイザナギノ神イザナミノ神の御子神で別名をヒノカグヒゴノ神またの名をヒノカグツチノ神という火産霊の神のことです。わが国の神話では万物の生成は神々によって生み出される形で語られていますように原始神祇の神々はいづれも森羅万象の創成神となってそれぞれの職能をあらわしお生まれになりました。かような次第でイザナミノ神はホノヤギハヤオノ神をお生みになられたとき大火傷を負い病にかかりました。そのあとカナヤマヒコノ神、ミズハノメノ神ら六人の御子神をお生みになると遂におかくれになりました。そこでこの神を熱子とよび、或は仇子の意味がアタゴの語源となったといわれています。このように火の神の出現のあとミズハノメノ神のような水の神がみあれすることは古代鎮火祭の思想をあらわすものとして意義深いものがあります。つまり火の神であるホノヤギハヤオノ神の職能は明り(照明)暖もり(保温)調理(食物の煮焚き)などに関係して人間生活の基盤をつくりあげた恵みの神威であります。なかでも暖を囲み団欒する生活から人と人との間に理解と協力が生まれ情緒をともなう高度な精神生活を享受するようになりました。そのことはとりもなおさず人間が文化というものを自らの手にしたことを象徴するものといえます。こうした土俗信仰に培われた精神生活はさらに神道と仏教とが習合する本地垂迹思想へと発達します。そこで朝日嶽の神籬が密教的信仰の教理にもとずき山嶽修行の場へとうつりかわりました。ここにわが国の神は仏教のほとけが変化してあらわれたものであるという権現思想から火産霊ホノヤギハヤオノ神は化生して愛宕権現、勝単地蔵、太郎坊天狗となります。中世になってここに現世利益の教理をもつ薬師瑠璃光如来の阿蘭若処が出現して近江国甲賀郡飯道山の飯道寺の末流教雲院が建立されました。ところが戦国の動乱が諸国を風靡した室町 桃山時代 人の心に惑いがあらわれ精神文化は混迷期をむかえ社寺は衰退の一途をたどりました。その頃、伊賀国伊賀郡山出村にひとりの神童があらわれました。この童は奇行が多く容姿も怪異そのものでありました。そのため世間では「天狗の申し子」と噂しました。この人こそは後に愛宕神社、大福寺創建の本願となった小天狗清蔵坊です。 神事として4月の忍之社神事、7月の夏祭りには特殊事祭典が営々行われます。 | ||||
特殊神事 | |||||
氏子地域 | |||||
宮司記載 | |||||
HP(主) | |||||
御影 | ![]() |