天神社 
        
〒633-0101 
奈良県桜井市小夫3147
TEL
 
由緒

 

 
神社由緒   

御由緒
当社の創建された年代は詳かでないが神道五部書に曰く、第十代崇神天皇の御代に、神戸大神宮、また天神宮と唱ふるとあり、 神戸は上之郷また小夫郷と、日本地理資料に古は笠縫邑と云へりとあって、いわゆる元伊勢の伝承地であります。 そして、第四十代天武天皇の御代、大來皇女の泊瀬斎宮、旧跡伝承地でもあります。 社伝に、第百六代正親町天皇の御代、古語拾遺に、天正5年9月2日(1577)斎宮太夫小笠兵庫と署吊せる、天照大神御幸神楽歌があり、 また、第九十六代後醍醐天皇の御代、本殿中門の脇に、嘉暦2年(1327)に献紊されし石燈籠があります。 第二十三代顕宗天皇の御代(485)顕宗紀に曰く、「殖槻也、田中乃杜也《とあり、槻の神木があることから、由來の久しいことを知るのであります。 神宮寺創立年代は詳かでないが、神社附属として境内に神宮寺を建て、社僧を置き、真言宗長谷寺より輪番によって常勤し、明治3年まで守護ありし社で、 同年社僧を廃せられ明治8年より神宮寺の寺号を廃せられる。明治39年4月28日、勅令第96号により、神饌幣帛料供進指定神社に列せられる。

御祭神
《主》天照皇大神、天児屋根命、菅原道真、《配》大来皇女命、品陀別命


現地調査報告   

小夫天神社 例祭10月23日、花笠踊り8月18日
奈良県桜井市小夫字神前田3147
御祭神 天照大神、大來皇女命
東殿 天児屋根命、品陀別命
西殿 菅原道真
末社 葛神社、山王社(素盞嗚尊)高龗社(高龗神(祈雨神))、愛宕社、祓戸社
●由緒
小夫天神社は、斎宮山の麓に鎮座し、鎮座地の小夫は、倭笠縫邑の有力な比定地である。 第10代崇神天皇の御代に皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)により、皇祖神天照大神が祀られる。 そののちに、天武天皇の御代に大来米皇女(おおくのひめみこ)が伊勢の神宮の初代斎王となるため、この地にある化粧川で身を清めた。その翌年である天武天皇3(674)年10月9日に伊勢に下向した。このことから、元伊勢といわれるこの地は泊瀬斎宮(とまりせのさいくう)といわれるようになった。明治39(1906)年4月28日に勅令により、神饌幣帛料供進指定神社に列せられる。
●境内の様子
石段の先に拝殿、本殿が中央にあり、石段上に左に西殿、右に東殿が並んで鎮座している。 本殿、拝殿の石段正面に神楽殿と思われる建物があり、朱塗りの厳かな回廊が集落方向に向かって突き出ていた。 境内にある槻(けやき)の木が御神木となっている。この木は、樹齢1500年といわれており、幹回りは15mある御神木である。境内内には桜井市内最古の六角形石灯籠があり、嘉暦2年(1327)11月23日願主藤原宗房大江定光とある。参道の石段右側には文政13年(1830)のおかげ灯篭がある。また、末社の祠が5社あり何れも小さいながら大切に奉られていることが伺える。祓戸社のみ少し離れた場所にあるのは、祭典の際に祓所を設定する関係だろうか。
●鎮座地の地吊の由来について
小夫という地吊は、旧上之郷11大字村落の北部にあり、小夫は多部(おおぶ)から出た吊だとされ、意冨(多氏)といい神八井耳命(かむやいみみのみこと)(綴靖天皇の兄)の子孫である多氏の一族が、今の小夫に移住して、多部が小夫となったといわれる。
●化粧川と化粧壷の由来
大字修理枝に字化粧川あり、修理枝川の上流にあって、古は田地なくして広々とした天然地磐岩で、川の中央に凹んだ溜あり、実に清浄なる所で、年経ると共に田地が延びて川幅狭くなり、化粧壷という岩のみ現われる。この水源は小夫山中より流れ出て、修理枝を経て更に小夫と笠との境を通じて大和川(泊瀬川)に合流する。 上古、皇大神宮に奉仕された、豊鍬入姫命の御化粧ありし所、又大來皇女命御禊の旧跡と云う。(小夫天神社 看板より引用)



現地調査日 平成27年7月12日
平成27年7月29日作成 皇學館大学神道学科2年喜多野瞭

  
  
  
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