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神社検索(三重)

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 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会とが共同で制作しています。
平成5年に神社本庁が作成した「平成の祭」CDのデータを補助的データとしても使用しています。
制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

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詳細情報

神社ID/コード631024201012 画像収集中
神社名/通称野志里神社
(ふりがな)のじりじんじゃ
郵便番号511-0117鎮座地三重県桑名市多度町下野代 3073
電話番号FAX
主な祭典
宮司名 
旧社格
連絡先0594-48-2037(多度大社内)
主祭神《主》天照大神,《合》建御雷神,天児屋根命,経津主神,姫神,大山咋神,速玉之男神,事解之男神,八衢比古神,八衢比売神,衝立衝立久那戸神,火之迦具土神,火之夜芸速男神,火之炫毘古神,品陀和気命,大山津見神,宇迦之御魂神,白山比売神
ふりがな
御神徳
由緒社伝によれば、垂仁天皇の御代の創祀と伝えている。すなわち『倭姫命世紀』の倭姫命が天照大神を奉じて美濃の伊久良河宮から尾張中島宮にお移りになり、さらに御船に乗られて桑名郡野代宮にお着きになり、四年間この地で宮居を造られ、國造大若子命が参じ相共にお仕へしたと云ふ。倭姫命は、その後伊勢に遷幸され、その野代宮の行宮の跡に本社を創祀して野志里神社と唱へたものである。現社地の東方に平安時代からの下野代遺跡があり、県くから開けていたことが判る。平安時代には『延喜式神名帳』記載の桑名郡一四座の一座として野志里神社の名が載せられている。当社を式内野志里神社にあてることについては、古くから考証されており、『勢陽雑記』『御遷幸図説』『神名帳傍註』以下の諸書もすべて下野代村を郷名とし現社 地を鎮座地に求めている。最も新しい『式内社調査報告』においても、同様な見解である。文徳天皇仁寿元年(五八一)以降、土御門天皇建仁元年(一二〇一)、亀山天皇弘長元年(一二六一)各々神階を進められ、従五位上に叙せられた。近世には春日明神と俗称せられていたことが地誌類等によって知られる。近郊の氏神として篤く崇敬されていたものと思われる。
特殊神事
氏子地域多度町大字下野代・中須・大鳥居・南之郷地区
宮司記載
HP(主)
御影画像収集中

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