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神社検索(三重)

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 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会とが共同で制作しています。
平成5年に神社本庁が作成した「平成の祭」CDのデータを補助的データとしても使用しています。
制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

検索結果

詳細情報

神社ID/コード29824218001 画像収集中
神社名/通称菅原神社上野天神宮
(ふりがな)すがわらじんじゃうえのてんじんぐう
郵便番号518-0861鎮座地三重県伊賀市上野東町 2929
電話番号0595-21-2940FAX
主な祭典
宮司名 
旧社格
連絡先
主祭神《主》菅原道真,《配》天照大御神,伊邪那岐大神,建速須佐之男神,応神天皇,宇迦能御魂神,天児屋根命,建御名方神,大山咋命,速玉之男神,八王子,稲田比売命,安閑天皇
ふりがな
御神徳
由緒当神社は、贈太政大臣正一位菅原朝臣道真公を主神とし、古く上野村に祀られていた九社神社を相殿としてお祀りしています。古くは天満宮と申し上げ、又、天神宮とも称し、通称お天神さんと親しまれている旧上野町43ケ町8千戸の惣社であります。文学の神様としての信仰が篤く、合格祈願を始め文芸の上達を祈る参詣者が後をたたず年間に亘り社頭を賑わせています。又、伝説による牛馬との関係から牛馬の守護神としての特殊信仰があって農事や畜産関係者の崇敬も深く5社詣りの中心的な社柄でもあります。古くは上野山平楽寺の伽藍神でありましたが、天正9年(1581)織田信長の兵乱後に今の地にお遷しいたし奉斎せられたと云われています。初代藩主藤堂高虎公が関ケ原の戦(1600)の後、伊予今治から伊勢安濃津に移封せられ、大阪方に対する要塞の地として伊賀に出城を構えられ、城下町の区画を整備せられて今日の上野の町の基が築かれたものであります。当神社は藤堂藩の祈願所と定められ18石余の祭祀料が寄進され、境内の拡張社殿の修復鐘楼の建立など手厚い庇護のもとでいよいよ栄え、明治維新に至って郷社に列せられ、次で県社に昇格し神饌幣帛料の供進社に指定されました。御祭礼について 数多い御祭礼の中でも、春秋2回の渡御祭はもっとも盛大であります。秋祭りは、10月19日から26日に及び19日の早朝2基の神輿は本社から東旅所(市内車坂町)へ渡御します。23、24日の両日は東旅所において宵宮祭が執り行われ、25日に御奉仕する稚児(幼童)の宵宮参りがあって宣状の授与が行われます。市中でも上野文化美術保存会による神賑が、23日は宵山、24日は足揃と称して絢爛豪華な楼車に雪洞に灯を点じ、又、大小様々に仮装した百数十体の鬼の行列が市中をねり歩き楼車の引き廻しが催されます。25日の本祭は東旅所を発し、本町通りを神幸して幸坂町の西旅所へ渡御、御昼祭りを執り行います。午後は二の町通り、三の町通りを巡幸して、同3時頃に御本社へ還り秋の例大祭が執行されます。日本最大と云われる30余貫(120㎏)の大御幣を先頭とし、役の行者が大峯入りに凝らしたと云い伝えられる大鬼小鬼の奇妙な仮装行列が続き、次に9ケ町の楼車が神輿に供奉し巡幸する長蛇の列は、紅葉に映える城下町伊賀上野の粧いこらした一大絵巻であり、4百年の伝統が偲ばれます。当日の参詣者は伊賀一円はもとより、県内を始め、滋賀県、京都府、奈良県など隣接する方面からの参詣者も多く10数万人を数え、境内を中心に市内各所に露店が軒を並べ、市内は歩行者天国であります。昭和31年 上野天神まつり として県無形民俗文化財として指定を受け、また平成14年「上野天神祭のダンジリ行事」が国重要無形民族文化財に指定を受けています。芭蕉と当神社との関係について 芭蕉がその処女作であります「貝おほひ」の自序の末尾に「神楽の発句を巻軸にをきぬるハ、歌にやハらぐ神心といへば、小歌にも予がこころざすところの誠をてらし見給ふらん事をあふぎて、当所あまミつおゝん神の御やしろの手向ぐさとなしぬ。寛文12年正月25日伊賀上野松尾氏宗房釣月軒にしてミづから序す」とある様に、あまミつおおん神の御やしろは、天満天神の御社天満宮即ち当神社のことであります。芭蕉は俳諧をもって身を立てんと志ざされ、江戸へ下行されるに当り、先ずその処女作「貝おほひ」を自分の生まれ 伊賀国上野 た郷里の氏神さま天神さんに献納されたのであります。上野天神宮 氏神天満宮は文学の神として広く世の人々の崇敬を集めていることは、芭蕉の立志の祈願社であったこともその要因ひとつかと思われます。だんじり会館 三重県無形文化財に指定されている上野天神祭の鬼行列とだんじり3基を常設展示しています。日本初300インチ3面マルチスクリーンにより上野天神祭の臨場感をかもし出します。菅原神社 菅原神社は、上野天神宮(通称お天神さん)と呼ばれ、菅原道真公を主神とする神社です 旧上野町6千戸の産土神として、また文学の祖神あるいは牛馬の守護神として崇敬されています 往古、上野山平楽寺の伽藍神で農耕神祇に発祥する神々をまつる神社でしたが、天正9年(1581)天正伊賀乱ののち藤堂高虎による城下町建設の際この地に奉遷され城郭鎮守としてまつられました 毎年10月23日~25日に行なわれる上野天神祭は、神輿の渡御に供奉する百数十体の鬼行列や、雅調豊かな祭ばやしを奏でながらこれに続く9基のだんじり(楼車)に、4百年の伝統を伝え現に県の無形文化財に指定されています 併て正面の楼門 鐘楼なども市の文化財の指定を受けています、当社は寛文12年(1672)1月俳諧に身を立てることを決意した俳聖芭蕉翁がその処女作「貝おほい」一巻を社前に奉納されて自らの文運を祈願されましたかかる由緒ある神社として、いま市文化財「史蹟」に指定されています。
特殊神事
氏子地域旧上野町
宮司記載
HP(主)
御影画像収集中

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