飯野高宮神山神社 
      式内社  
〒515-0208
松阪市山添町 4
 
由緒

 
神社由緒   

御由緒
由  緒  当社は古来天照大神の行宮である飯野高宮として尊崇を集め、山添大明神、白髭大明神、鍵取明神、神山神社等と称されてきた。 「倭姫命世記」によれば、垂仁天皇二二年倭姫命が天照大神の宮処を求めて阿佐加の藤方片樋宮より飯野の高宮に移られ、 そこで四年間天照大神を奉斎されたことが記されており、当社の創始は悠久の昔に遡るものと思われる。 又、『延喜式神明帳』飯野郡四座中に登載される「神山神社」にも比定される。 当社の合祀の歴史については、明治四〇年一月二八日に山添の三玉神社を合祀し、更に明治四一年二月一一日には安楽の煩賀神社ほか二二社を合祀した。 しかし、以上の社を一旦合祀したが、昭和八年櫛田に櫛田神社、昭和二八年清水に清水神社、昭和三〇年安楽に須賀神社、山下に宇気比神社、 伊賀に須賀神社、豊原に豊原神社をそれぞれ分詞し飛地境内社として現在に至っている。 平成元年九月、現社名に変更される。

御祭神
《主》猿田彦命,天鈿女命



→式内社調査報告(昭和52年発行)  皇學館大学出版部

  
  
  
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