笠山坐神社(笠山荒神社) 
      かさやまにますじんじゃ(かさやまこうじんじゃ)  
〒633-0133
奈良県桜井市笠2415
 
由緒

 

 

 
神社由緒   

御由緒
笠山三宝荒神は9万8千8百8躰の眷属と倶に、3000年の昔より笠山の鷲ヶ峯に奉祀て、七袖七谷の峯谷を神躰山として、人々は入山する事なく、 千古の昔より丈余大木生い繁り三宝荒神の霊神は鷲ヶの峯より大和平野を見おろし、初瀬の川より天理の布留川に至る笠山のすそ野なる、 山之辺の道に散在する社寺の三宝を守る神、すなわち奥之院として栄える。大和の神社、佛閣は三宝の守り神として崇拝し、聖徳大師を初め奈良東大寺初代管長良弁僧正。 中国の高僧善無畏三蔵、高野山を開いた弘法大師、興正菩薩、照海大徳、尊海大徳、高海大徳、尊信大和上、秀繁大徳、高繁本徳、尊弘大徳、宝真大徳、英岳大徳、尊雅上人、 尊球大徳等あまた高僧、笠山寺(加佐寺)にあつまり来り、又行者の祖師、役小角行者、此の山に来り鷲ヶの峯に登りて、宝詞を造り霊神を奉祀、城州笠置山伏一代ごと此の地に来たり、 護摩を修して霊神に供しつとめ侍る。これら山伏、高僧は修験、祈願をかけて、奇瑞なる霊験をさずかり、下山して社寺佛閣を建立する者又は此の地に骨をうずめる者あまた有りて笠山は修行の霊場となり、 加佐寺、神官寺、竹林寺、西之院、浄鏡寺、妙園寺、等の山寺が繁栄し、七堂伽藍、三重の塔、及び大門を建立して、一山寺を形成し、神躰山なる鷲峯(じゅぶ)山寺、笠山三宝荒神の名声は、 大和の国、笠山の一隅より、広く日本全土津々浦々にひびきわたり、各地に於て三宝荒神の社を建立し、火をしずめる神として諸人は各家の竈神に奉祀其の御神徳に浴せり。

御祭神
主》興津彦神、興津姫神、土祖神


現地調査報告   

【社名】
 「笠山坐神社(かさやまにますじんじゃ)」の社名で神社庁には登録されているが、神社前の社号標には「笠山荒神社(かさやまこうじんじゃ)」の社名が記されている。古来より、この地の荒神を祀る神社としての性格が後者にあらわれている。
【所在】
 当社は、奈良県桜井市笠ニ四一五に鎮座している。古来より神奈備と仰がれた鷲峯山の頂にあり、倭笠縫邑と称される元伊勢の伝承地である。
【御祭神】
      土祖神(つちのみおやのかみ)
      奥津彦神(おきつひこのかみ)
      奥津比賣神(おきつひめのかみ)
【由緒】
 当社は荒神出自の源とされ、鎮座する鷲峯山は笠の如く峻嶺で、往古より信仰の山として仰がれている。その昔、笠山鷲峯山に須佐之男命の神孫で竈の神である「奥津彦神・奥津比賣神」と大地の神「土祖神」を奉斎したとされるが、更に古くは土着の信仰が強かったといわれる。『笠荒神鷲峯山竹林寺來由記』(延宝六年)には「持統天皇亥年(六八七)、役小角のために荒神その神姿を鷲峯山地中より湧出し、我は世の中に荒神とする者なり。常に善を作ものを助け、悪を造る者を罰す。我を敬ふ者には我九万八千八百八躰の眷属と倶にまもりをなし、一切の願ひを満足せしむべし。我が真躰見んと思はば即此七岫七谷の山これなりと言終わりて忽ちに地に没しみえ給はず。」とあり、役小角によって笠山に荒神が鄭重に奉祀されたことが記されている。以来、当社を中心とする笠山の地は、高僧・修験者・陰陽師などの修行の場となり、神仏習合の霊地として信仰を集めた。明治初年には、神仏分離により笠山荒神社となるが、現在も修験者などからの信仰は続いている。また当社の荒神は『笠荒神鷲峯山竹林寺來由記』に見えるように善を助け悪を罰する神で「麁亂神」(そらんしん)とも呼ばれる。
【祭祀】
     一月一日〜五日    歳旦祭・初詣
     一月二十八日     新春荒神大祭
     二月節分       節分祭
     三月二十八日     荒神講世話方大会
     四月・九月上旬    竹林寺薬師祭
     四月二十八日     春季荒神大祭
     六月・十二月二十八日 人形祈祷祭
     九月二十八日     秋季荒神大祭
     十月二十八日     閼伽井不動祭
     毎月二十八日     月次祭
     毎週土曜・日曜・祝日・一日・十五日  社殿開扉・祈祷受付
【境内地】
 当社の境内地には社殿のほかに信仰を集める箇所がいくつかある。
   「竹林寺」
 木造薬師如来立像(国重要文化財)・木造地蔵菩薩立像・木造不動明王立像など多くの仏像が奉安されている。元加佐寺(笠寺)と称し、聖徳太子あるいは良辯僧正の創建とされ、大規模な寺院であったことがその跡地の名称からも知られる。当時は長谷寺の奥之院といわれ、長谷寺の十一面観世音菩薩像を造った楠の霊木の共木で薬師如来像を造り、笠寺に奉安されたと伝わるが、創建当時の仏像は何れも現存していない。明治初年までは荒神社と一体であった。現在の竹林寺はこの笠寺の中の一寺として継承されたもので、表参道入口付近に位置する。
   「板面荒神」
 南都大佛殿建立に際し啓示があり、良辯僧正が奇瑞を受けて、荒神の姿を板に描いたもの。現在の板絵は、良辯僧正のものを弘法大師が写したものと伝わる。荒神板絵として竹林寺に祀られている。荒神大祭には神輿で奉遷される。
   「閼伽井不動」
 養老二年(七一八)、中天竺の僧善無畏三蔵が鷲峯山に笠を留めて、閼伽井の地を拓いたと伝わる。弘法大師は遣唐使の留学から帰朝すると高野山建立を志し、閼伽井の池で二十一日間の行を修めた。その後、高野山を開基するも災禍に見舞われ、再び閼伽井の池で行を修め、この地に不動明王を祀った。高野山に戻り笠荒神を勧請したことにより、災禍なく開山できたと伝えられる。この荒神を奉祀したのが立里荒神といわれる。この地の不動明王は閼伽井不動明王と称され、閼伽井の池と共に霊場として信仰を集めている。閼伽井の池は表参道入口傍らにあり、荒神参拝に際しての清めの水に用いられている。
   「鏡池(心見の池)」
 笠山の東方中腹に、笠山より湧出する水のそそぐ鏡池があり、良辯僧正の身を清めた池と伝えられる。奈良の猿沢の池に通じ、池に落ちると猿沢の池に浮かび上がるという伝説や、二月堂のお水取りには鏡池の水面が低くなり、この水が二月堂の清浄水になるとの伝承もある。笠山に湧出する水は、御神水として拝殿前に導水されている。



現地調査日 平成27年7月12日
 皇學館大学 大学院2年 荒井 寛巨

  
  
  
→神社由緒  →周辺案内  →境内案内  copy