伊勢部柿本神社 
   いせべかきもとじんじゃ       
〒642-0002
海南市日方1338番地
TEL 073-482-1466
 
由緒

 
神社由緒   

御由緒
当社は、皇祖 天照皇大神あまてらすおおみかみをおまつりし、元伊勢の伝承をもつ神社です。古くより、商売繁盛、交通安全の守護神として崇敬されており、主祭神、相殿神を総称して伊勢部柿本大神いせべかきもとのおおかみとしておまつりしています。  境内には、末社として若宮八幡宮わかみやはちまんぐう、妙見神社みょうけんじんじゃ、金毘羅神社ことひらじんじゃ、秋葉神社あきばじんじゃ、住吉神社すみよしじんじゃ、山王神社さんのうじんじゃ、戎神社えびすじんじゃをおまつりしています。特に戎神社の十日戎は多くの参拝者で賑わいます。
元伊勢とは、伊勢の神宮が今の地(三重県伊勢市)に鎮座する前、皇祖 天照大御神の御霊代みたましろである八咫鏡やたのみかがみをおまつりするのにふさわしい処を求めて、天皇の皇女が天照大御神の御杖代みつえしろとなって各地を巡幸し、一時的におまつりされた由緒のある土地や神社のことです。  伊勢神宮の鎮座伝承を記した『倭姫命世記やまとひめのみことせいき』によると、第10代崇神天皇すじんてんのうの御代、皇女 豊鍬入姫尊とよすきいりひめのみことが 八咫鏡を奉じて大和の笠縫邑かさぬいのむら(奈良県櫻井市付近)を出発し、丹波の国(現在の京都府北部、天橋立付近)に巡幸され、吉佐宮よさのみやに4年、再び大和の伊豆加志本宮いつかしのもとのみやに8年、次に紀伊国奈久佐濱宮なくさのはまのみや(和歌山市毛見 濱宮神社付近)に3年間御鏡をおまつりしましたが、その後「吉備国名方濱宮きびのくになかたのはまのみや」というところに遷り、4年間御鏡をまつったと伝えられております。その吉備国名方濱宮とは、すなわち、この海南市日方にあった藺引ノ森いびきのもりであると古くから言い伝えられています。4年が経ち、八咫鏡は再び豊鍬入姫尊が奉じて倭の弥和乃御室嶺上宮みわのみむろのみやというところに遷りました。そして垂仁天皇即位二十五年に豊鍬入姫命の意志を継いだ皇女倭姫命やまとひめのみことが、各地を巡幸した末、伊勢の地に至り伊勢の神宮が鎮座したのです。  一方、藺引ノ森では、豊鍬入姫尊が去った後も、大神宮御鎮座の大宮処として天照大神をおまつりしつづけていましたが、その地は高波や津波の恐れがあることから、いつの頃からか この日方ひかたの東山の中腹、すなわち現在の地に遷座され、従四位伊勢部柿本大神と讃えまつられ、社殿壮麗を極めたと伝えられます。  しかし天正十三年、豊臣秀吉の紀州攻めにより、社殿を焼失してしまい、15年間、仮宮でおまつりする時期がつづきましたが、江戸時代の初めの慶長九年、(1605年)、今から約400年前に近くにあった妙見社と熊野社を遷し、三社殿がこの地に再興され「里神社(さとじんじゃ)」として呼ばれ崇敬されてきました。 

御祭神
天照皇大神 (配祀神)素戔嗚尊 熊野久須毘命 市杵嶋姫命



現地調査報告   



現地調査日 平成 年 月 日
平成 年 月 日作成 皇學館大学神道学科

  
  
  
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