トップページ 

神社検索(奈良)

単語から検索

  単語から氏神様を検索できます。複数の単語は間に空白を入れてください
 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

基本システム制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究部会
エルネットワーク(株)
部会長:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

検索結果

詳細情報

神社ID/コード58700 画像収集中
神社名/通称玉置神社玉置さん
(ふりがな)たまきじんじゃたまきさん
郵便番号鎮座地奈良県吉野郡十津川村玉置川1
氏子地域
電話番号FAX携帯電話
主な祭典祭典日
特殊神事
お知らせ
旧社格式内社御朱印
祈祷出張祭神葬祭
結婚式宝物館その他
宮司名(本務/兼務)連絡先
主祭神《主》国常立尊、伊弉諾尊、伊弉冊尊、《配》天照大神、神日本磐余彦尊
フリガナ
御神徳
由緒村里遠く離れた交通極めて不便な海抜1、000米の玉置山の高台、吉野熊野の山なみのさなかに雲海はるか熊野灘を眺め樹齢3000年といはれる神代杉のそそりたつ神々しい森の中に豪壮な玉置神社の社殿が棟を列ねています。玉置神社は古来十津川郷民の鎮守として心のよりどころであり、全国にわたる玉置信仰の情熱は今も尚人々の心の底深くもえつづけています。由緒 (玉置神体の巻外古文書による)1、神武天皇熊野に御上陸八咫烏の先導にて悪ものどもをうち亡し、この宮にて兵を休め給ふたと伝えられています。1、崇神天皇、玉城火防鎮護と悪神退散のため早玉神を奉祀されました。以後玉置と名づけられます。1、天安2年(858)天台宗智証大師が、始め那智の滝に篭り後当山にて修法加持し本地仏をまつられます。これより以後玉置神社は神仏混淆となります。1、平安時代、役の小角によって大峯山がひらかれ修験道の本拠となります。修験道は前人未踏の山岳をあらゆる艱苦欠乏に耐えて心身の修業をする事を要諦とするため大峯、釈迦、笠捨等と共に山伏姿の修験僧の往来がふえて来ます。かくて熊野三社権現の奥の院として日ましに繁栄を極めます。1、この間皇室の尊崇極めて厚く、かしこくも花山院、白河院、後白河院、後鳥羽院、後嵯峨院が参拝の為め御幸されています。1、元禄 4年(1691)修験道京都安井門跡派に所属。1、亨保12年(1727)修験道京都聖護院門跡派に所属。玉置三所権現の聖地として全国にわたり尊崇をあつめます。別当院高室院を中心に七坊15ヶ寺がこの境内に点在社僧数100人を護し修験道の一大勢力となります。1、慶応4年(1868)明治新政府の神仏分離令にさきがけ十津川郷民の代表は参事官に対し神社復古の請願を出します。やがて神祇事務局の許しをえて玉置三所大神となり更に現在の玉置神社と改称されます。1、明治6年十津川全村を氏子とする郷社となる。本社 1、御祭神 国常立尊、伊弉冊尊、伊弉諾尊、天照大神、神武天皇1、本殿 桁行12.7米、梁行12.7米、檜皮ぶき、入母屋造り内陣に3社を奉祀、けやき材の堂々たる建築です。元禄16年(1703)の改築その后現在まで数回補修を行ってゐます。旧記によれば社殿の創建は遠く崇神天皇の御宇その后元禄年間まで10数回の造営又は改修はすべて国費を以て行はれたと伝へてゐます。境内には三柱神社 若宮神社 神武神社 玉石神社などの摂社末社があります。 この中三柱神社は古元三狐神と称へ五穀成就、海上安全、大漁悪魔退散のための信仰を集めております。玉石神社は社殿なく全く原始的信仰形態の古い珍しい神社です。1、鳥居 神明造高さ6.4米、桁行6米、大日堂跡、役の小角の草創と伝えられ小角と空海作の金、台、2仏を安置してゐました。1、護摩堂 伝教大師作と伝えられる。不動明王をまつってゐました。1、社務所 権現時代の高室院を改装したもので桁数31米、梁行16.3米、玄関や上段の間等をもつ書院風の建築、各居間は杉の1枚板の極彩式の板ぶすまを以て仕切られてゐます。弓神楽 玉置山の弓神楽は本木といふ木で作った白い弓矢を以て巫女の衣装をつけた男子の神子が舞楽を奏する。他に類をみない珍しいものです。本社創建以来悪魔退散あれ狂ふ海波を鎮め四海安穏を祈って例祭又は随時奉納されました。その歌詞は 熊野なる玉置の宮の弓かぐらつる音すれば悪魔しりぞく とあり白河院、後陽成院を始め皇室の御祈願には弓神楽が奉納された記録があります。宝物1、梵鐘 佐々木高綱の寄進と伝え応保3年葵巳3月3日(1163)の銘があります。周囲には梵字が刻まれています。奈良県重要文化財に指定され宝物館に保管してゐます。1、後白河法皇供養塔という石造宝キョウ院塔 和泉式部供養仏と称する石地蔵二基があります。共に室町時代の建造と推定されます。1、鰐口 径30糎、寛永6巳巳8月吉日(1629)の銘があります。1、鳥居の御額 久爾宮朝彦親王御染筆1、御額 有栖川宮熾仁親王御染筆 1、御幕 聖護院の宮より拝領1、社務所内彩式戸ぶすま 杉1枚板現在70枚 その絵画は狩野法橋及その弟子といはれる橘安春の筆にて、龍虎山水等真に迫るものがあります。1、天上興 聖護院の宮が廻峯の時ののりものですが、こんなけわしい山坂をどうして通行したか不思議に思われます。摂社三柱神社1、三柱神社後祭神 倉稲魂神、天御柱神、国御柱神 三柱神社は俗に稲荷社と呼ばれ、この周辺の稲荷信仰の中心。3月初午の日の初午祭は極めて盛大、郷中は勿論熊野方面からの参詣者で賑います。男の厄年の25と42女の厄年の19と33の人が殆ど厄払いにまいります。又狂病失気つまりノイローゼをいやし病魔や盗難をさけるあらたかな霊験をたたえられてゐます。不便な土地柄だけに昔はさつまいもや、きびを賽銭代りに初穂として供えたといはれます。例祭 1、10月24日 本社例祭 神輿渡御、弓神楽等あり、5穀豊穰、海難防止、豊漁祈願の参拝者で賑います。神代杉の樹叢 (奈良県重要文化財に指定)境内3万平方米に叢生する杉の巨樹群には神代杉、常立杉、磐余杉、浦杉、大杉など廻尺8米から10米、樹高30米から50米に達します。千石杉の如く1本の材積千石に及ぶもの、夫婦杉の如く中に数平方米の洞穴をもつもの、おいもち杉の如く地上5米のところにとりもちの木の大木が寄生せるものなど、学術的に大きな研究資料であり貴重な存在です。正に杉の木発生のふるさとともいふべく、しかも地下1米をほればかたい岩盤のやせ地で天をまするこの成育ぶりにはだれもが驚きのめをみはります。尚境内至るところ数10米の岸壁がありその全面に数百年を経た岩ひばが押合って育ってゐます。むすび 玉置神社は創建以来悠久3千年、歴史の流れをそのままに神代杉の偉観と環境の静寂は、あはただしい人生の旅路に疲れた現代人の心身を浄化、明日への飛躍へのあらたなる霊感を体得される浄域である事を信じます。
駐車場有無台数トイレ
記載
最寄駅
名所・名物
地図
HP(主)神社写真/HP(副)
                            御影
画像収集中 画像収集中

ページトップへ 検索ページへ