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神社検索(三重)

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 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会とが共同で制作しています。
平成5年に神社本庁が作成した「平成の祭」CDのデータを補助的データとしても使用しています。
制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

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神社ID/コード29244214007 画像収集中
神社名/通称市杵島姫神社弁財さん
(ふりがな)いちきしまひめじんじゃべざいさん
郵便番号514-0805鎮座地三重県津市下弁財町津興 2391
電話番号059-228-1470FAX
主な祭典1月1日歳旦祭  1月7日どんど焼き 3月第1日曜日初午祭(厄除祈願祭、福寿祈願祭) 4月第1日曜日春祭 6月30日大祓(夏越)茅輪くぐり 10月第2日曜日秋祭 11月23日新嘗祭 12月31日大祓(年越)・除夜祭
宮司名大塚 孝子 本務
旧社格
連絡先
主祭神《主》市杵島姫命,《合》建速須佐之男命,宇迦之御魂命,大物主神,猿田毘古神,大山津見命,天照皇大御神,徳川家康,事比良神
ふりがないちきしまひめのみこと
御神徳
由緒<沿革> 津藩の2代藩主、藤堂高次公の治世の万治3年(1660)頃に、この辺りにぽつぽつ家が建ちはじめ新町と呼ぶようになりました。その後、多くの民家が建ち並び、町づくりが進んだので、この付近にあった庚申塚の境内に北畠家から託された市杵島姫大神を祀って新町の産土神として崇めたということです。このように人々は市杵島姫命を土地の神として尊び、市杵島姫神社を弁財天とか弁財さんと呼んで親しんでいたために、貞享3年(1686)、新町は町名を改めて上弁財町と下弁財町の2町となりました。また、弁財町に連なって伸びる町並みは阿漕町と呼ぱれ、同じく弁財さんの氏子となりました。
<御由緒> 建武・延元の頃(1334~1340)、北畠顕家公は市杵島姫命を常々崇敬していましたので、顕家公戦没の後、弟の顕能公は伊勢に移り初代伊勢国司となる際、多気の城内に市杵島姫命を鎮祭して北畠家代々の守り神としました。しかしながら、天正4年12月、大宮武蔵野守、井上丹後守の両名を使者とする北畠家からの依頼により、岩田清長院がご神体を預かることになりました。そこで社殿を新築して安置しました。多気城主が崇敬した神ということで人々から格別の信仰が寄せられたといわれています。先に述べたとおり、その後、藤堂藩による城下町づくりが進められる中、万治、寛文の頃(1660~1662)に現在地にご遷座されました。 御祭神の市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)は天照大神と須佐之男命との誓約(うけい)の際に生じた女神と伝えられ、九州の宗像三神の一神で水の神としてよく知られていますし、安芸の宮島の厳島神社の主祭神としても夙に有名です。古くから神仏習合がなされたわが国では、出雲大社の大国主命と大黒天が同一視されたように弁財天を以ってこの神に当てられるようになり広く信仰を集めています。弁財天は美しく芸能の神そして人々に幸福と子孫の繁栄を授けるという神です。
《湯立釜》 昭和44年6月5日 津市文化財指定
この湯立釜は神事に用いるもので、湯をたぎらせ、その湯を竹笹で祓い罪・穣れを清めます。この釜の寸法は直径43 cm、周囲135 c m、高さ40c mで、獣面装飾のある足が3足付いています。釜の外周には鋳銘があり、「元文五庚申年(1740)正月多気郡相可郷西村廣定、同廣泰奉納」と記されています。製作者は中山村(現栗真中山町)安保氏で2代市太夫周正、あるいは3代市太夫周重の作とみられています。津藩の鋳物師の祖とされている辻氏より後に阿保氏は津に来住していますが、辻氏と並び称される鋳物師でした。興味深いことに、寄進者が多気の人で北畠氏ゆかりの人ということで当社と北畠氏との縁を物語っていることでありましょう。
《ひょうたん池》 社殿の前にひょうたん池が作られていますが、このような池は水神をお祭している神社には必ずあるということです。そして多くの人々に親しまれている弁財さんの亀は、今も昔も人々を癒してくれます
《大いちょう》(戦火の類焼を防ぐ) 鳥居をくぐるとすぐに目に入るのは注連(しめ)縄の張ってある御神木の大いちょうです。樹齢は400年を越すといわれ、周囲は約4m、樹勢はいまだ盛んで、秋にはたくさんのぎんなんが実り、それを拾う人々の姿が見受けられます。 この木にまつわる話として、昭和20年の戦災で付近一帯が火につつまれ、あわや神社に火が移ろうとしたとき、大いちょうからもうもうと湯気のようなものが噴出し風向きが急変、合わせて境内の木々の葉が雨のように降り注いで社殿を包み込み、御神体は焼失を免れたということです。
《雅楽と舞姫》(受け継がれる伝統) この神社では祭典に雅楽が奉納されます。奉納するのは厳笛社中(現在4人)の人たちで、幸いにもこの神社には古くから有志の人々によって受け継がれ、今でも古式豊かに奏でられています。 また舞姫奉納(大和舞)も百有余年間受け継がれ、当社独特の振りも工夫されています。舞姫は小学4~6年生の女子の中から希望者で選ぱれます。
 【杉山稲荷】 同神社の境内の一角(社殿の西隣)に杉山稲荷が祀られています。、この稲荷さんは、橋南中学校のそぱに祀られていましたが、明治の初め頃にこちらへ移されたといわれています。毎年3月の初の午の日こ初午祭が行われ厄除祈願がおこなわれています。
特殊神事
氏子地域
宮司記載
HP(主)
御影画像収集中

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