熱田神社 
   あつたじんじゃ       
〒111-0024
東京都台東区今戸2-13-6
TEL
 
由緒
神社由緒   

御由緒
御祭神⇒日本武尊・橘姫命 御神徳⇒尚武・徐災(六算除・交通安全)由緒⇒当神社の創建については元亀二辛未年6月(1571)とされていますが、「御府内寺社帳」には「元鳥越と同年なり」と書かれています。往古、元鳥越には、熱田大明神・鳥越大明神・第六天の3社があって、「鳥越三所明神」と尊称せられていました。ところが、正保年間に元鳥越一円の地が幕府御用地に指定され、当社のため武蔵国豊島郡三谷村に替地が定められました。正保2乙酉年6月、社殿が新築竣工するや元鳥越の氏子数十戸と共に当社は、この地に遷座奉祀され、爾来、「三谷明神」と尊称されていました。町名もその時、元鳥越に対して新鳥越と改められたのであります。当時は鳥越の神主鏑木勝豊、橋場明神の神主鈴木兵部が兼務していましたが、宝歴年間(1751)より茅根河内が神明奉仕に専念しました。新鳥越の地は千住街道沿いで車馬の交通が激しく、町家の家業も繁昌をきわめ、神社も祭事懈怠なく、ご社頭の賑わいも盛大でありました。新鳥越という町名は、その後吉野町となり現在の今戸と変わりました。 御府内備考の記載によれば正月元日より5日まで武運長久・天下泰平の御祈祷申上候。 (中略)祭礼、毎年6月15日、御輿渡御は隔年とし、寺社奉行所御月番へ御届けのうえ執行せられたり。 奉行所は、当日、検分のため組同心衆両人を参列せしむ。・・とあります。 氏子は祭好きで、当神社の祭礼は、その頃から近隣でも有名な賑わいを呈したとのことであります。 祭り例大祭は6月15日に執り行われます。これは江戸時代と変わっておりませんが、現在、大祭のほかの御祭日として、 6月の第一土曜日・日曜日をあてています。また、神社御輿の渡御は五年毎に行われます。 そのほか、祈年祭を3月17日に、新嘗祭を11月23日に行っています。また、毎月15日の月次祭をはじめ、歳旦祭を正月元旦に、節分祭を2月節分の日に、就学報告祭を三月春分の日に、夏越祓を6月30日に、大祓、四辻祓、除夜祭を12月31日に行うなどさまざまな祭が行われています。 建物⇒正保二年六月、新鳥越の地に遷座して以来、宝永年間(1704年〜1711)、明和年間(1764年〜1772)、文政年間(1818年〜1830)、文久年間(1861年〜1864)、明治21年(1888)、明治38年(1905)と修理や改築を重ねてきましたが、大正12年の関東大震災のために社殿を消失しました。そして、翌年13年6月、仮社殿を再建しましたが、震災後の区画整理のため、昭和2年11月に現社地に遷座されました。そのため昭和20年3月10日の東京大空襲にも本殿だけは炎上をまぬがれました。 昭和35年に社務所を、昭和39年に鉄筋コンクリート、神明造りの現社殿が完成しました。その規模は、間口24尺半。奥行47尺。建坪は23坪あります。境内⇒境内社として厳島神社があります。これは、次の稲荷神社とともに、もともと当地に鎮座していたものであります。いわゆる地主神でしたが、熱田神社が移ってこられたので、末社になりました。祭日は7月2の巳の日。祭神は素盞鳴尊・田霧姫命・湍津姫命・市杵島姫命・倭姫命の5柱を祭っています。また稲荷神社の祭日は2月2の午の日で、祭神は大物主命・豊受姫命であります。このほかにも疫神・麻疹神・霊神が祀ってあります。

御祭神
《主》日本武命、《配》橘姫命



現地調査報告   



現地調査日 平成 年 月 日
平成 年 月 日作成 皇學館大学神道学科

  
  
  
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